マーチ オブ ペンギン By ナショ・ジオ

カウントダウン状態なので、なるべく毎日書いてみたい。東京の友人からのメールで、「帰ってきたら、日記も終わっちゃうんでしょ?」と書かれていた。確かに。ベイエリアライフだし。てことは、かえったら、「祖師ケ谷大蔵ダイアリー」ってことになってしまのか。あまりにも、ローカルで私がこちらに来てから命名されたウルトラマン商店街のことなどかいても、はっきりいって誰も関心がなさそうである。

  とにかく、残された2週間は、いかなる睡魔に襲われたとしても、がんばってかいてみたい。

 先日、「March of Pengins」を見に行った。ナショ・ジオ(ナショナルジオグラフィックス)のチームの製作とのことで、アメリカでもなかなか人気だったので、我街の小規模映画館にいってきた。
「すごい人気よ〜!」との情報だったので、
ティブロンの映画館が満席でみれなかったらどうしよう、と心配しながらも、海の見えるBarで、マルガリータをひっかけてまったりしながら、となりに座ったニュージーランドからの旅行者と盛りあがり、結局上映ぎりぎりに駆け込んだ。
 日曜のアフターディナータイム。席はあるかと、あせって会場に入ると、
1、2、3、4、マジ?5人だけ?私入れて6人。少な〜〜〜っ。

 これが、我が街の規模である。

 日本では「皇帝ペンギン」というタイトルのようだ。なんだか、そのまんまというか、ひねりのないタイトルである。フランスも、同じだったかもしれないが。
 
 しかし、ペンギンさんは、気が長いっていうか、忍耐強いっていうか、すべてがあるいみすごすぎる。一番、わたしにはできそうもないのが、「立ったまま、足の上に卵を乗せて暖める」というワザだ。地面に置くとすぐさま凍ってしまうから、常に足の上に置いておくのだ。えらいなー。

 それから、みごとな団体行動。

これも、私にはきつすぎる。

 素晴らしき自然の智慧と、命の尊さを見せてくれる、文部省推薦版である。

最後のメイキングの撮影風景にも共感した。
雪の中をカメラを担いで歩く。

砂漠を歩いたことを思い出す。

撮影は、過酷である。

それでも、いくんだな。これが。
アドベンチャラーな人生は、楽し。
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# by artaira | 2005-09-16 20:29

サルサ デビュー in Mission St.

 最近、我ながらめずらしくダンスに興味を持っている。それも、サルサである。このところ、暗室生活が長いので、帰国もせまりつつあり、かなりサルサが恋しくなっている。
 動機といえば、ふと、無性にサルサを踊ってみたくなったのだ。わけもなく。どこかレッスンをしているところはないかとおもっていると、偶然ジャパンタウンの掲示板に、「サルサレッスン」というお知らせが張り出されていたので、わくわくしながら参加した。先生は、明るく楽しい元気いっぱいの日本人の女性。初めてのサルサ体験は、なんだか???で才能ないかー、と思ったが、とにかく体を動かすという意味では楽しく汗をかけるので運動不足解消には最適である。

 たった1回のレッスンだったので、これではやったうちにはいらない!そこで、サンフランシスコのサルサクラブをネットで検索。あるある。サンフランシスコでは、毎日どこかしらのサルサクラブで早めの時間にレッスンをおこなっている。これだ!っと、さっそくいったのはミッションストリートの南28St.にある、とあるサルサクラブ。 
 夜8時半、ミッションの撮影を終えて店を探す。紫色のネオンが怪しく光る。薄暗い店内に入ると、奥の方に広いダンスホールが見えた。
「あのー、サルサならいにきたんですけどー」と受付の貫禄あるご婦人に尋ねると、
「それなら、10ドルよ、奥に先生がいるから、まっててね」とのこと。
ぜんぜんできないのにいきなり、一人でミッションのクラブに来る人もそういないのだろう。どきどきするが、そこは持ち前の度胸で乗り越えるしかない。マルガリータを飲みながら待っていると、ついにレッスンタイムとなる。チャーミングなヒスパニック系の女性の先生登場である。真っ赤なミニスカートに破れた黒い網タイツがなんともいえない。そして、セクシーなまなざし。これぞ、サルサって感じですかね。
 ホールに人が集まり始める。どう見てもみんな上手そうだ。まあ、いい。できないからきたのだし。
 ステップをはじめる。ふむふむ、なかなかわかりやすい。基本が終わると、大きな輪になって男女ペアでのレッスンとなる。なんだか、中学生のときのフォークダンスの時間を思い出す。でも、まだ、ろくにできないのにペアはどうよ、と思ったが、意外にもみんな私ぐらいのレベルであれあれ?という感じで、わからいけど一生懸命やってますという人ばかりだった。ぜんぜんわたしでもオッケー。みんなおもいっきり初心者だったのだ。
 1時間はあっという間に過ぎ、ミッションサルサデビューも無事に終了した。すこし慣れてきたせいか、楽しむ余裕もわいてきた。
 
 ときどき、暗室でもペーパーの現像中、真っ暗闇でステップを練習してしまう。シャルウィーダンスの場面を思い出し、そんなもんだなーと思ったりしている.

 本当は、帰るまでに毎日でもいきたいのだが、暗室に夜10時までこもっているので、家に帰ると11時。さすがに、いまはいけそうもない。かなり残念。でも、絶対にすきを見てできるだけ多くいきたい。

 きのう、最初の日本人の先生に個人レッスンを頼むひとがいて、私も誘っていただいた。先生がわたしの帰国を知り、なんと「サルサレッスン&お別れ会ダンスナイト」を企画してくださった!先生がご自分のクラスに招待してくれて、そこで軽く練習してから、ブライアントのサルサクラブに繰り出そうという素敵な企画なのだ!またとないお誘い!絶対いきたい。絶対。

 Anyway,プリントを仕上げることが、いまのわたしのミッションである。

 
 
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# by artaira | 2005-09-13 22:27

アメリカ撮りおろし写真展「Mission St」

 ついに私の滞在は2週間にせまった。帰国直後、10月25日から11月6日まで、篠原さんのギャラリー、ルーニーで写真展を企画していただいている。いまは、そのプリントのために、再び毎日ラボにこもっている。カラープリントをしたことのある方はご存知だとおもうが、1日中集中してやっても、せいぜい8枚が限度。それくらい時間がかかるものなのだ。今回は、6×6サイズのネガカラーで撮り、8x10のオリジナルカラープリントで発表する。ペーパーにもこだわり、先日協賛してくださることになったフジさんからのペーパーを、篠原さんに日本からEMSでおくってもらったばかりである。ふりかかる車のトラブルを克服しながら、おとといからついに本プリントにはいった。今までは、こちらで売っているフジ・カラープリント・ペーパーで下焼きをおこなっていたが、本プリントは日本でしか売っていない「ディープマット」という素敵な風合いのペーパーでのプリントにしたかったので、わざわざアメリカまで送っていただいたワケである。
 カラープリントも、当然印画紙のテクスチャーによって表現が驚くほど変わる.今回は私にしてはストリートフォトである。「Mission St. ーミッション ストリートー」と題したこの作品は、カリフォルニアに暮らしているうちに感じたアメリカ観を、ヒスパニック系移民の多いミッション地区に写したものである。
 
写真展用のレジュメから、ミッションの歴史をながめてみよう。

 「1942年コロンブスがアメリカ大陸を発見しスペイン人が入植、当時アス
テカを統治していたかれらは、メキシコから北上し現在のカリフォルニア周辺を植民地とした。メキシコのスペインからの独立にともない一時は メキシコ領となり、メキシコ・アメリカ戦争を経て現 在のカリフォルニア州の街となった。

サンフランシスコの南に位置するミッション地区は、1769年スペイン人入植時にヤーバブエナと 呼ばれ、後のサンフランシスコの発祥の街である。先住民へのカトリックの布教活動のための教会ミッションドロレスがここに建設され、現在の ミッション地区となった。

 この街は、これらの歴史を背景にヒスパニック系を中心とした移民のエネ ルギーに満ちている。スペイン語が飛び交い、街のいたるところに描かれた壁画には、1920年、壁画というアート 表現を通して社会に提起したメキシコの壁画運動さながらのパワフルなメッセージが込められてい る。 ドラッグディーラー、10代のギャング達の闘争と、デンジャラスなイメー ジで敬遠されることも多いが、ここ数年はドットコムの発展で治安も以前よりは安定したという。
 はじめてここを訪れた時「ここがアメリカなのか」と感じた驚きからはじまった好奇心は、この街の成り立ちにさかのぼり、すると、次第に現実のアメリカがみえはじめた。

この街に立つと、いまここに生きていること、ここに存在していることを、また奇麗事では成り立たな い日常を生き抜いていくパワーを肌で感じてくる。 
    「ミッション」という名をもつこの街に通いながら、わたしは「現実を知るこ との大切さ」を改めて教えられた。
 「知ること」は、私たちの責任であることを。

 アメリカであってアメリカでない、本当のアメリカ。わたしは、この街が好きだ。」   

 ミッションという言葉は、さまざまな意味を持つ。ヒスパニック系の人々は敬虔なカソリックの人が多く、教会では、貧困やさまざまな苦しみから切実に祈る姿もめずらしくない。彼らにとって祈りは、生きていくためになくてはならないなものなのだ。
 しかしながら、世界の戦争は終わる事もなく。
 宗教と侵略と支配・・・。この、ラビリンスから人間は抜け出す事ができるのだろうか。それが、わたしがアメリカに暮らしてさらに深く感じたテーマであった。

 話をプリントに戻すと、このパワフルな街をディープマットでプリントすると・・・。
最初の下焼きのものとは、全く別物になった。空気感、湿度感がぐっとでてきた。つや消しのような印画紙の質感は、ミッションの街をまるで詩のように表現したのだ。ドキュメンタリー性の強いテーマであるにもかかかわらず、パステル調の淡いトーンで描くと、彼らの夢や希望の街のようだ。わたしの愛でたミッションへの思いに、この印画紙が力を貸してくれたように思う。

そんな、ミッションストリート。
ぜひぜひ多くの方に見てほしい。

心を込めてプリントしてます。これからも、当分こもります。
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# by artaira | 2005-09-13 00:46

はっぴいえんど

きのうから、リンダの家の留守番にいっていた。彼女はいま、2ヶ月のバカンス&撮影にインドにいっている。その間、彼女の生徒でもあった写真家の HiroyoちゃんがHouse sittingをしているのだが、彼女が、仕事で出かけることになったので、わたしが代わりに3匹の猫たちの世話をしにいった。彼らは、すごく可愛い。わたしが下のギャラリー部屋のベットで眠ろうとすると、土星という名のマースがすかさずやってきて、朝までいっしょにもがきながら寝たり。夜中、気がつくと、ルナもビーナスも代わる代わるやってきては、いっしょに寝たり、徘徊したり。猫の習性は摩訶不思議である。

 リンダの家は、どこにいても音楽が聴けるように、あらゆるところにスピーカーが配されている。CDをかけ優雅な時間をすごす。ふと、 CDコレクションを見ると、

 むむ、なかに「はっぴいえんど」の「風街ろまん」があるではないか。

「風街ろまん」といえば、わたしの中学時代の思いでである。
あのころは、友人とバンドを組んで、キャロル・キングとかをコピーしてコンサートにでたりしていた。懐かしき青春!わたしにも、そんな時があった!!!

思い切り、ボリュームをあげてかけてみた。

 ”か〜ぜ〜をー集めてぇ〜〜”

懐かしい、なんてもんじゃない。
なんかうるうるしてしまう。
歌詞をひとつひとつ聴いていると、ものすごく映像的で、35年前かと思うと
全く色あせもせず、いまも新鮮である。
むしろ、いまの写真につながるような、淡く、それでいて空間をみごとに
表現しているように思えた。

こんな、感性が音を通してわたしの中に染みていたんだなとおもう。

これは、きっとHirroyoちゃんのCDだろう。あした、電話してまたまた、「はっぴいえんど」論議にも花をさかせよう。



 
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# by artaira | 2005-09-09 14:52

カウントダウン

とうとう、私の留学生活も残り1ヶ月を切った。この見晴らしともお別れかと思うと寂しい。日本には日本の生活が待っているが、正直、こちらの暮らしも充実していてかなり捨てがたい。こんなに自分の写真と向き合い撮影し続けることのできた1年はなかった。働かなくていいというのは、素晴らしくありがたいことである。この1年は私の人生にとって神様からのギフトのようだ。文化庁、そして皆様に心より感謝である。

 屈折数十年と思っていたが、一生懸命やっているといいこともあるものだ。世の中まだまだ捨てた物じゃない。

 神様の采配は、常に絶妙なタイミングである。

ただ、いつも寸止めというところまでいって私を救ってくれるので、かなりはらはらする。いやいや、贅沢をいってはいけない。救ってくれるだけで、ありがたい。まだ、見捨てられてはいないようだ。

ともかく。

 シャスタから帰ってからは、ほとんど毎日会社にいくようにcityのラボでカラープリントか、8x10の現像をしている。だいたい、1日10時間くらいこもっているが、あっという間にすぎてしまう。

そして、なにより楽しい。
 
 昨日は一日中、日本に帰ってすぐに行う写真展のためのカラープリントをしていた。去年のクリスマスから撮り始めたプロジェクトで、再び自分に挑戦をしている作品である。写真展については、次回に詳しく書くとして。

 私の作品作りというのは、アドベンチャーとサバイバルのようなものだなと思う。私の旅もそうであるように、結局わたしはそういう事が好きなのだろう。撮影自態だってアドベンチャーそのものだし。
 そういえば人生も山あり谷あり、まさかの坂を転げそうになりながらもそれ風に楽しんで生きている。いつもチャレンジしていくことが、やめられないという難儀な性質なのだ。

 「当たり前の生き方」をしろとか、「不器用な生き方」だとか、あげくの果てには「なにもするな」などといろいろとアドバイスをしてくださる方もいたが、こういう性質だから「お金を手にして、家をもって、いい車に乗って」では、残念なことに幸せになれないのだ。それで幸せになれたら、この生き方よりどんなにか楽な事だろう。

 チャレンジのあとに見えるものが見たくて、生きているようなものなのだから。
 それが私をより成長させ、そしてなにより私の魂が喜ぶからなのだ。

 今日もこれから8x10の現像に向かう。

残されたアメリカでの時間を、思う存分写真にかけてみよう。

 

 
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# by artaira | 2005-08-30 01:41

ファースト・ピアス

 今年の五月の終わりごろ、生まれて初めてピアスを開けた。学生のころから周りの友人はほとんどピアスにしていたが、なぜか全く興味がなくこの年まで開けずにいた。

 5月ごろに知り合ったネイティブの男性がしていた小さなオニキスのピアスが、やけに自然に美しくうつった。それが、自分もピアスにしたいという動機だった。

 家のちかくのLuksperのショッピングモールのジュエリーショップにいって、
「あのー、ピアスあけたいんですけどー」
と、聞くと、すぐにその場でホチキスのような機械でパッチンと開けてくれた。それから6週間はその時のピアスをつける。これがファーストピアスである。6週間後は、それを外して好きなピアスをつけられる。
 わたしのファーストピアスから6週間後は、ナバホのキャンプの直後だった。年に一度ナバホのリザベーションで行われるラグ・オークションにいったとき、ブラックメサからきていたナバホの人から手作りのビーズ・ピアスを買った。思わず、ファーストピアスを卒業して、そのピアスに付け替えてみた。ところが。これが、そう簡単なものではなかった。6週間たったとはいえ、傷はまだまだ癒えていなかった。ナバホのピアスは初心者にしてはあまりに重たく、すっかり傷が真っ赤にはれてしまった。c0029032_145039.jpg
 
なんども、そんなことを繰り返し、このごろやっと、自由にピアスを楽しめるようになってきた。
 自分でも不思議なほどピアスは楽しく、知らず知らずに増えたコレクションのなかから、毎日どれにしようかと迷うのが新鮮な歓びである。
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# by artaira | 2005-08-27 15:48

もようがえ

ここに住んでから、初めて模様替えをした。といってもとてもシンプルな部屋なので、単にテーブルを窓際に持ってきただけなのだが。
 こちらの暮らしもあと1ヶ月ほど。せっかく海の見えるところに住んでいるのだから、窓に向かって仕事机を置いてみた。
 物書き用に、ベランダにベンチやテーブルを置いたが、シスコは、昼間は暑いし夕方からは肌寒いし。外で過ごすのはそうコンファタブルではない。そのうえこのところ、アパートの外壁の塗り直し工事のため、ベランダのプランツを部屋に入れなければならず、なんだか部屋がジャングルみたいになっていた。晴れてきょうから、またベランダがOPenになったので、おもいきって配置を換えた。
 対岸のサウサリートの夜景が美しい。なんで、もっと早くこうしなかったんだろう。
海の見えるところに住む事も私の夢の一つだった。こんなに美しい場所に、再び住む事ができるのだろうか。
 
 ふと、南イタリーのアドリア海の青さを思い出した。

白い壁にまぶしい太陽。紺碧のアドリア海も悪くない。

なーんてね。
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# by artaira | 2005-08-25 13:33

シャスタ その2 パンサーメドウズ

シャスタの中腹にパンサーメドウズというスプリングの湧き出る美しい場所があると聞いた。1月にシャスタにきて以来、その雪解けをずっと待ち続けた。
そして、パンサーメドウスが一番美しい季節といわれる8月に再びやってきた。これがシャスタの最後の撮影になるだろうと思いながら・・・。

 ところが!!!

たどりつくと、なんとわたしの撮影したいスプリングのあるアッパーパンサーメドウズは立ち入り禁止になっていた。
 入り口で見張っているレンジャーにわけを尋ねると、どうやらそのスプリングあたりにアッシュがあったそうで、つまり散骨をした人がいたらしく、事件性も考慮し調査に2週間を要するとのことで今月いっぱい閉鎖するということだった。

 し、信じられない!

この美しい季節に2週間も立ち入り禁止とは。

 なくなった方には申し訳ないが、個人的な行為のために、その美しさを体験したい人たちが全員閉め出しとは!!!
 散骨しようという発想は、いったいどこの国の人だろう。まさか日本人じゃないでしょうね。ありえるかもしれないなー。

 8ヶ月も待っていたのに!!!
 
 がっかりしながら空を見上げるとシャスタに円盤雲がかかっていた。
この5回に及ぶシャスタ訪問で、初めて見る光景である。円盤雲も撮りたい撮りたいと思っていたのに全然出会えず、夏は滅多にでないと聞いていたので全くあきらめていたにもかかわらず、こんなまじかで見るなんて。その日は雲を追う事にした。

 翌日の夕方、再びパンサーメドースを訪れた。

 6時過ぎていたせいか、人影も少なく静かな空気が流れていた。アッパーに向かうトレイルは立ち入り禁止の立て札がいたるところにたてられていた。「ロウアーなら見れるわよ」といっていたレンジャーのいいつけ通り、ロウアーのトレイルを進んだ。ごろごろと転がっている石をよけながら、乾いた土のトレイルを数分歩くと、遠くに緑の草に覆われた一帯が見えてきた。その辺りに近づくとはっきりと気の違いを感じる。耳を澄ますと水の流れる音が聞こえてくる。アッパーのスプリングから湧き出たシャスタの雪解け水が、何本にも分かれたクリークを澄んだ音を立てて流れているのだ。足下を見ると小さなせせらぎが私を迎えた。
なんて美しい水だろう。
この水の恵みを受けた高山植物が一面に広がり、赤、黄色、水色の花をみごとに咲かせている。夕日を浴びたパンサーメドウズは確かに
「天国ってこんなところなのか」と思わせた。

 そもそもパンサーメドウズは、ネイティブアメリカンの聖地である。かれらは、ここで遥か昔からセレモニーを行ってきた。祈りの場所、つまり、彼らにとってのチャーチなのだ。
 
 いまでは、一般に公開され誰もが行けるようになった。

 シャスタといえば、アリゾナのセドナのように、ボルテックス(エネルギーの集まってる場所)とされ、ニューエイジの人たちが多く訪れる。このニューエイジの人たちがパンサーメドウズで集会をおこなったり、シャスタが観光地としてスキー場になっていたりと、ネイティブのチャーチとしての聖地の尊厳を危惧する問題も側面に抱えているのが現状だ。

 そして、この散骨騒ぎ。

私がパンサーメドウズに初めて立ったとき、こんな思いが胸をよぎった。

「何も知らない人間が踏み込んでは行けない場所なんじゃないか・・・。」

 ネイティブたちは共通してこんな風に自然と関わってきた。
「人間は、自然を守るために生まれてきた。だから、自然を大切にするのが自分たちの役目なのだ。」
 かれらは、本当に自然の一部なのだ。
 そんなかれらも、自然とともに壊されてきた。自然だからこそ。

 自然は、私たちが思う以上に簡単に壊れてしまうものなのかもしれない。

 どうして人間はこんなに自然から切り離れてしまったのだろう。

 今回の散骨事件がなければ、私もこんな風に考えなかったかもしれない。そして、このおかげで、パンサーメドウズのスプリングは、人間に踏み込まれず、一番いい季節を静かに過ごす事ができるのかもしれない。

何が幸いなのか、わからなくなる。
 
 帰りがけ、3人の男女が立ち入り禁止の札を無視してスプリングのほうに向かって歩いていた。レンジャーはすでにいないので、もちろん、わたしもいこうとおもったらいける。でも、不思議とパンサーメドウズの神聖さを体験しただけで、自然に感謝する気持ちでいっぱいになった。

 それで充分だとおもった。

 自然には、不用意に人間が侵してはいけない領域というものがあるということを感じた。

 それが、私が踏みとどまった自然に対する敬意であると。

 これが、禅でいう「知足」、足るを知るということなのかと・・・。

 

 帰りがけ、パンサーメドウスのキャンプグラウンド(ここにもキャンプ場が!)でであった女性に、
「この時を待ってきたけれど、スプリングにはいけなかったわ」
と話すと、彼女は微笑んでこういった。

「すべてはあなたにとってパーフェクトなタイミングよ」

 
 それって、これが最後じゃないっていうことだろうか・・・。

 

 
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# by artaira | 2005-08-22 09:12

シャスタ その1 ツールレイク 

シャスタの旅もこれで5回目だ。今回もマクラウド近くのFowlers campgroundでキャンプをした。途中、HisakoさんとAkiさんが合流し、いっしょに近くに撮影に出かけた。撮影キャンプにしては、めずらしく毎日豪華な食事でお二人に感謝である。わたしの誕生日もMt.Shasta cityの素敵なイタリアンレストランで祝っていただき、感激!嬉しかった。
 お二人と別れ、ツールレイク(Tulelake)へ向かった。ツールレイクは第二次世界大戦中に、日系アメリカ人の強制収容所のあった町である。日本軍の真珠湾攻撃後アメリカ政府は、アメリカにいる日系人、1世にとどまらずアメリカで生まれた2世の日系アメリカ人の彼らからも私財をすべて取り上げて、終戦までの数年間アメリカ全土10カ所の施設に強制収容をしたという歴史がある。
 ロサンジェルス近くにあるマンザナールも同じ日本人強制収容所があった場所である。ここは、アンセルアダムスの作品で見た事のある人も多いと思うが、わたしは彼のドキュメンタリーとしてのこのシリーズが好きだ。ただ美しい風景ではない。ここで起こった出来事をしっかりと見すえている写真家の視線やメッセージがはっきりと感じられるからである。
 話をツールレイクにもどすと、この収容所は、アメリカ政府がアメリカに忠誠を誓うかどうかの質問「忠誠質問状」に「NO」と答えた「NO,NOボーイズ」と呼ばれた人々が収容されていたという。また、この忠誠質問状に「Yes」と答えた人たちの多くは、第二次大戦の激戦区にアメリカ人として送られた。
 移民の国アメリカで起こった悲しい歴史的事実を、わたしたちは知る必要がある。
 ただ、被害者として大騒ぎをするのではなく、
 戦争、奪い合い、差別、etc・・・。
これらの愚かな間違いが今後繰り返されないように。事実をしっかり見すえ、自分はどうあるべきかを一人一人が自分自身に問うために。
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# by artaira | 2005-08-21 02:12

シャスタ

さてさて、きょうからシャスタに出かける。雪のために取り残していた場所を撮るためである。今回がシャスタの最終撮影になるだろう。もちろんキャンプする。アリゾナとちがってシャスタは森、川、滝などを充分満喫することができる。自然の声に耳を傾け、自然の力を吸収してこよう。
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# by artaira | 2005-08-17 04:39