カテゴリ:ひとりごと( 6 )

ポイズン・オーク

c0029032_1191243.jpgカリフォルニアなら、どこでも見かけるこのグリーン。一見なんの変哲もないきれいなプランツだが、これに触れると大変なことになってしまう。その名もポイズン・オークと呼ばれ、皆に恐れられている。日本でいえばうるしのような感じかな。ひどいかぶれをおこすらしい。先日、ここから3時間ほど101を北上したあたりの山で、ナチュラルな暮らしをされてる方々のお庭(といっても山ですが)でキャンプをした。なんと、ここがこのポイズンたちの宝庫!ありがたくないが、自然だから仕方がない。ところが、自分が気をつけていても、犬たちは野山を駆け回りポイズン・オークに触れまくる。その犬たちに触れる人間は、同じようにかぶれてしまう。おかげでお宅のわんちゃんたちは、すっかり遠巻きにされていた。
 自然界で暮らすということはこのような危険もある。なるほど、だから動物たちは、毛皮で皮膚をプロテクトしてるんだなんて感心した。

 人間は、毒を知る能力がある。
 毒だということがわかれば、あえて触れたりしない。

 余談だが、先日日本の友人と電話で話していると、彼女曰く。
「この間TVで精神科医の先生がいっていたんだけど、『鬱病のひとの周りには、必ずポイズン・ピープルと呼ばれる毒を出してる人がいる』んだって!」とのこと。
 「人を変えることはできない」という言葉の対極にこのように「環境で人は変化する」という事実もある。

 ポイズン・ピープルか・・・。
 
 人間界という魔界で生きて抜くために、どうやら厚手の毛皮を一着手に入れる必要がありそうだ。
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by artaira | 2005-06-01 02:16 | ひとりごと

Nobhill lunch with Linda

 リンダを空港に送る前に、彼女の定例ランチ・ミーティングに招待していただいた。場所は、サンフランシスコでも高級レストランが集まるノブ・ヒルのとある高級フレンチ。ドアを開け店内に入ると、漂う空気が「高級」である。ギャルソンの靴音やカトラリーの音さえも、洗練された音色に聞こえてくる。周りを見回しながら嬉しそうにしているわたしに、リンダは茶目っ気たっぷりにウィンクをした。
 階段を上り吹き抜けの正面にある個室に用意されていた20人ほどの大きなテーブルに着席した。主催はバーバラなる80歳の女性である。リンダから事前に「彼女はフォトグラファーで、ライターでもあり、とても、たくさんの友人とネーッとワークをもっているのよ」と聞いていた。わたしは、年齢からいって「リンダの先生だったの?」と尋ねると、「違うわ〜〜、私の生徒だったのよ!」リンダには、ほんとうにおおくの生徒がいる。こんなにたくさんのフォトグラファーを生み出している先生は他にいないのではないかとおもう。
 バーバラがナイフでノックしたワイングラスの響きで会が始まる。集まったメンバーはギャラリーのオーナー、クロニクルの記者、フォトグラファーをはじめとした様々なアーティスト、大学教授、などの個性的なキャラクターをもったキャリア・ウーマンばかり。ひとりひとり、近況や、インフォメーションを話していく。わたしのことは、リンダがとても素晴らしく紹介してくださり、また、自分でもちょっぴりガンバッて挨拶をした。
 バーバラは、黒のドレスにブロンドの髪を束ね、とてもエレガントで魅力的。凛とした姿勢のよさに、彼女の生き方を感じることが出来る。このような年の取り方が出来たらいいと思えるとても知的で素敵な方である。。
 リンダは、この会でも間違いなくリーダーである。知的なユーモアでそれぞれのコメントにスパイスを加え、存在感満点である。とにかく、堂々としていて、かっこいいのだ。もちろんリンダは、作品、人間性ともに、わたしの目指す生き方をしている人である。
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by artaira | 2005-04-22 03:21 | ひとりごと

バカの壁

 前回、言葉の壁について少し触れたので、最近読んだ本のことを思い出した。
この間、こちらの友人が私に養老孟司氏の「バカの壁」をプレゼントしてくれた。ランドリーの間にプールサイドで(アパートに、ついているのだ!)ひなたぼっこをしながら一気に読んだ。

 そうそう、本とうに「知る」ってことは、自分がかわってしまうくらいのことなんだよね。いったん自分が死んだみたいに。わかるわかる。わたしも何度もその経験をしてきたな〜〜。いままで、生きているうちに何度も死んだから、たくさん生まれ変わっていまの自分があるなと実感してる。
 知ってるつもりのひとがいかに多いか。当たり前よ!って言葉、わたしも信用できないな〜〜っておもってた。そして、実はそういう言葉を使う人は本当のことを知りたくないと思ってる。同感同感。そういうひととの間には確かに見えない壁がある。どんなに、時間をかけて伝えてみても、知ろうとしない人に伝えようとするのは、むずかしい。

 
 うーん。
 この壁を越える方法についても、読んでみたいな。  
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by artaira | 2005-04-07 14:46 | ひとりごと

あの雲のむこうへ

c0029032_16314835.jpgサンフランシスコは、冬が梅雨。気温的には、ちょうど日本の五月雨といったところ。
意外だが、何日も降り続けることもめずらしくない。
毎日ざーざー降りか、暗く重たい空ばかりみていると、
ここはロンドンだったかなと思ってしまう。
何人もの友人が、「ロンドンはね、あの気候のせいで気持ちが暗くなるのよ」といっていた。
日照時間と人間のこころの関係性は、いうまでもない。
日照時間の少ないところは、鬱傾向がつよくなり、また、不妊症が増える。
人間だけじゃなく、太陽が当たらないと植物は花を咲かすことができない。
日陰は、絶対にからだによくないのだ。
太陽のエネルギーがあるから、命は生きていける。

梅雨の晴れ間を待って、撮影にでかでる。
写真を撮りはじめると、じめじめ気分も晴れて、
不思議とこころが元気になる。
わたしには、やっぱり写真が必要だと感じる。

写真からも命をもらう。
そして、しっかりと自分を実感できる。

c0029032_16475050.jpgきょうは、8×10のカメラをもってSonomaにいった。
Sonomaは、Napaと並ぶカリフォルニア有数のワインカントリー。
広大なぶどう畑のおね一面に、菜の花がぶどうの芽吹きよりひとあし早く、
鮮やかに輝いていた。
そういえば、こちらは、もう、桜の花もピークを過ぎた。
日本より2か月ほど早いようにおもう。

梅雨が終わると、夏ではなく、一瞬にして過ぎていく新緑の季節がくる。
住み慣れた日本とは違う季節の変化も、新鮮で心地がいい。
c0029032_9365575.jpg
帰り道、夕日が落ちてからも雲を追いかけていると、小さな飛行場でセスナを見つけた。

無性にあの雲の向こうまで、飛んでいきたくなった。
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by artaira | 2005-02-19 16:54 | ひとりごと

空へ

 c0029032_5474068.jpgクッキーは荼毘に付されました。息子が全部一人で取り仕切ってくれました。いまは、骨になり息子とともに家に帰ってきたようです。遠く離れたところで様子を聞くのは忍びないのですが、一方で息子の成長ぶりを嬉しくおもいます。大人になったなーと。いろいろなことで、きょうも涙もろいわたしでした。クッキーの冥福をこころより祈ります。自由になって空へ帰ってね!
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by artaira | 2005-01-08 05:29 | ひとりごと

そして、さようなら・・・

 きょうは悲しかった。
Tokyoにおいてきた愛犬クッキーが17年の命を閉じたという知らせを聞いた。昨年末から老衰による衰弱がつづき、ゆっくりと自然に眠るように息を引き取ったという。17年前といえば私が息子とクッキーとともに新しい人生を歩み始めたころ。山あり谷あり嵐ありの歳月をともに過ごした同士のようなもの。私が忙しいときはいつも息子のそばにいてくれた。そして、小さかった息子も立派に成長し好きな仕事を見つけ、私は夢の留学を果たした。私たちの道がしっかりするまで、ずっと見守っていてくれていたんだな。まるで自分の役割を知っていたように。そしてもう大丈夫と安心したのか、静かに旅立っていった。
 思い起こせば、1年半前夜中にいきなり七転八倒のひきつけをおこし、余命3日を宣告されたクッキーだった。私と息子は、寝ずに付き添い、4時間おきにモルヒネをかれの細い前足に注射した。すると、3日目の朝、クッキーはいきなり立ち上がりすごい食欲でドックフードを食べはじめた!私も息子も、ハイジの「クララが立ったー!」みたいな驚きで、クッキーの生命力に感動した。
 クッキーは、とあるドッグショーで活躍しているブリーダーのもとからうちにやってきた。ドッグショーで優勝するためには、形のいい犬同士を身内でもかけ合わせていくらしく、そのゆがみが性格にでるという。たしかにクッキーは形のいい犬で、トリミングにだすと、それはかっこが決まっていた。でも、とにかく誰にもなじまず、私以外に誰も抱き上げることができず、気に入らなければ、だれでも噛み付く扱いづらい犬だった。呼んでもこない。とにかく、マイペースで、まあうちの家族にはぴったりだった。
 そんなクッキーだったが、例のひきつけ以来、別犬となった。彼から怒りや恐れのの感情は消え去り、パーフェクトななごみ犬となったのだ。まるで仏様のようで、
一緒にいるだけでとこちらのこころも優しくなってしまう。私は息子に「あの時に、私たちの愛が届いたのねー」というのだが、彼は「単にボケたんだと思う」と。
 いずれにしても、この1年半、私も息子もクッキーのお漏らしでよごれる部屋を修行のように掃除してきた。正直、忙しいなか、家にかえってうわあ〜と思うこともしょっちゅうだったが、こちらも怒る気もなく不思議なほど愛をもってできたとおもう。最後まで、ここで暮らしてほしいと思った。大変だから安楽死なんて、ひとも多いけど、私は家族としてここにいてほしいと思った。息子も同じ意見で、わたしが渡米した後は、彼がいっさいの世話をしてくれた。大変だったと思う。こころより感謝します、ありがとう。
 老いていくことは、だれにでもやってくること。私たちはクッキーをとおして介護の大切さを、愛の大切さを学んだようにおもいます。

 ひとつの時代が終わり、そしてまた新しい時代がはじまる。

 いままで、一緒にいてくれてほんとうにほんとうにありがとう。
 いつも、息子のそばにいてくれてありがとう。
 
 たくさんの思い出を、愛を、ほんとうにありがとう、
 そして、さようなら・・・・。   合掌
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by artaira | 2005-01-07 04:16 | ひとりごと