本当の親切 ティブロン マリネロ メモリー 

 私住んでいるアパートメントは、TiburonのEL MARINEROにある。ここで1年間を過ごしたわけだが、明日の夜を最後にとうとうお別れだ。
 きょうは、マネージャーのジョセフィンが、私の下の部屋に住んでいるブライスをさそって、ティブロンのダウンタウンの海の見えるベーカリーでのランチに招待してくれた。ジョセフィンもブライスも白人(といういいかたもあまり好きではないが)だが、人種を超えて、わたしを受け入れてくれた人たちである。私たちはいつも、心で話すことができた。そして、わたしが困った時は、親身に助けてくれた。

 日本でもあることだが、こちらでは特に「親切」の向こう側に「違う目的」を持っている人が多い。残念なことに、ある程度長くこちらにいる若い日本人にありがちなのように思う(わたしがたまたまであったのかもしれないが)。

 もちろん日本人だけではない。アリゾナで車を借りチェックインしたときのこと。そのレンラルカー会社は、アメリカにしてはやけに親切だった。いつもは自分で借りる車までえっちらほっちら重い荷物を引きずっていくのだが、そこは、受付のおじさんからナイスガイの若い男性に引き継がれ、荷物は持ってくれるは、優しい言葉はかけてくれるは。
「ここの会社は、いままでのレンタルカーのなかで、一番親切だわー」
と思わず、そのナイスガイにいってみた。
「ありがとうございます。」
人懐っこい笑顔を返してきた。車につき荷物も乗せてくれてさあ出発!とおもったら、いきなり彼のレクチャーがはじまった。
「お客様、保険にはお入りですか?」
あ〜〜、そういうことね。私は事前にネットから入っていたが、こと細かく質問され、対人のフォローがないことがわかり、「もし、人にけがをさせたら、莫大な補償をしなければなりませんよー、そうなったらたいへんなことになりますよー」
なんて、嫌なやり方だろう。出がけにネガティブなことを言われるほどいやなことはない。なんだかんだと脅かされ、結局私は不安な気持ちに襲われ1日15ドル×15日分の保険代を払うこととなった。
 この時も「この国には本当の親切はやっぱりない!」とつくづく思った。

 最近は、やけに親切にいってくる人がいると「この人の目的はなんだろう、またなにか頼みたいのかなー」と思ってしまう自分がいる。そんな自分も好きではないが、それくらいじゃないとここではやっていけない。
 人を当てにしないで自分で乗り越えていかない限り、「利用し、利用され」のサイクルから抜けられない。一見同じように見えるが、「親切にし、親切にされる」という次元とは全く違う。どこが違うのかというと、「利用する」というエネルギーは、人を大切にしていない。自分のことしか考えていないのだ。自分のために人にしている行為なのだ。もちろん自分のためにしたっていいのだが、「親切」という衣で装っているのでなかなかまぎらわしい。だれだって、優しくされることには、弱い。相手はそれを知っているのだ。

 特にこの国にとっては、親切=サービスであり、何と、サービスには「チップ」を払う習慣があるわけで、「ただ」の親切はやっぱりないのが常識なのかもしれない。何もわからない新参者は、かっこうの標的となる。でも、それをするのがアメリカ人ならあきらめもつくが、異国の地で同じ国の人間にされることは結構空しいものである。

気をつけよう、暗い道と親切ごかし(笑)。

 利用されたと感じたときは、後味が悪いものだ。でも、結局は利用されている時は、自分も相手に頼っていたりと、何らかの期待をしているものだ。

 この、サイクルから抜け、「本当の親切」を分ちあえる人たちとの関わりは、心が休まり愛に満ちている。わたしのネイバーが、そういう人たちだったことは、希有な幸運である。

 ランチのあとにSX-70で写した3人の記念写真には、私たちの関係性がみごとに現れていた。

こんなに、安心している自分を見たのは久しぶりだった。

写真て、本当にすごい。

日本に帰ったら、スキャンしてアップしよう。



 





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by artaira | 2005-09-28 00:06
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