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Bay Area Life を後にして 

バタバタの引っ越しを終え、いまやっと日本行きの飛行機に乗った。

 最後のブログを28日に書いた後、優雅にリンダとの最後の晩餐を過ごす予定だったのだが、引っ越しの準備が押せ押せになり、結局、帰国当日まで持ち越してしまった。
 
 28日朝3時半から、パッキングを始めたが、つめてもつめても減る様子もなく、自分でも「あれ〜〜〜?全然終わらなくなくなくなーい?」と、はじめてことの重大さに気がついた。
 「引っ越しなんて」と高をくくっていた。だが、間違いなく翌日の出発まで、時間との戦いであることが、ようやくわかったのだ。かなり問題である。朝10時頃、とりあえず、リンダが貸してくれていた沢山の品(シスコの家を借りたとき、リンダは、「写真家の家には写真がないとね」といってフレームを始め、沢山のHouse Staffを貸してくれた。フレームの写真は、リンダ・コナー、オリビア・パーカーを始め、蒼々たる写真家のものを10枚も!!!)などを返しにいき、その足で空港に彼女を迎えにいった。
 
 ArrivalのDoor4に着くとすでにリンダが待っていた。車を止め、リンダと2ヶ月ぶりの再会をした。

「リンダ、少しスリムになったっじゃない?」
「そう見える?嬉しいわ、きっとワインを飲まなかったからね」
「それは、寂しかったわね」

リンダの家に着くまで、Eiko氏のレクチャーの報告や、わたしの作品のこと、リンダのインドのことなど、お互いに休む間もなく話続けた。
「猫たちは、リンダに会ったら大喜びね!」
「彼らが、私を忘れていないといいわー」

 やはり猫は3年の恩を3日で忘れてしまうのだろうか。ちと、寂しい。確かに猫は、犬のように目に見えて喜びを表すわけではないので、解りづらい。


 無事家に着き、留守を守っていたHiroyoちゃんもリンダを迎えた。わたしは、もちろんアンフィニッシュワークの「引っ越し問題」を抱えていたが、最後のディナーは、感謝をこめてリンダの好きな物を作りたかったので、そのように提案し、夜は3人でパーティをしよう!ということに。

 リンダには、しばし休んでいただいて、その間Hiroyoちゃんが引っ越しを手伝ってくれた。それはそれは大変で、大きくて半端じゃなく重たいスーツケース4ヶ、手荷物として、TEMBAの大リュックに大きい布バッグ。それから、パソなどを入れたバッグというラインナップとなった。わたしは、何の疑いもなく、これを一人で持って帰ろうと思った。見かねたHiroyoちゃんは、
「無理だ。どう見ても」
「新宿まで母に迎えに来てもらうことになってるから大丈夫!」と、わたし。
「そこまでどうやって、一人で運ぶの?」
「なんとかなるわよー」

わたしは、やっぱり楽観的な人間なのだろうか。
あるいは、なにも考えていないのだろうか。


 夜8時過ぎ、いったん作業をやめて、ディナー作りに向かった。

 リンダがとても気に入ってくれていた「アボガド・ツナ」に「ヒラメのカルパチョ」などを3人でほおばりながら、リンダのお土産話に白ワインが進んだ。

 食事が終わり、リンダに「Mission St.」を見ていただいた。一枚一枚丁寧に見てくださり、適切な感想、アドバイスをくださった。

「まるでメキシコね!」
「Masumiは、ポートレートも、すごくいいわね」
「これだけ作るのに、大学院生だったら2年はかかるわね」
etc・・・・。
Hiroyoちゃんも、優しく
「いい作品展になりそうね」と。

 同時に進行していたあと2つのプロジェクトは、近いうちにあらためてリンダに見せにくることを約束し、Hiroyoちゃんと再び引っ越し作業へともどった。

 持ちきれない荷物を船便用に箱に積め、すべてが終了したのは朝の3時を過ぎていた。

 二人でリンダの家に戻り、7時まで眠った。


 朝、起きて支度をしているとリンダが私に箱をひとつ手渡した。

彼女がインドに行く前日に二人で話しているときに、わたしが、
「研修の思い出に、リンダの作品を買わせていただきたいのですが」
というと、
「わたしも、同じことを考えていたのよ。でも、それは、私からのプレゼントよ!どのイメージがいい?」

 あまりの、光栄に驚いた。

 リンダは、そのことをきちんと覚えていてくれ、「忙しいときに、いろいろありがとう。」といって、そっと渡してくれた。

 わたしは、奪い合う関係ではなく、与え合う関係の素晴らしさを体験した。

ぎりぎりまで引っ越し準備でばたばたしていた出来の悪いテナントのわたしに、最後まで優しくしてくれたジョセフィン、まるでサバイバルのような引っ越しを親身に手伝ってくれ、空港まで送ってくれたHiroyoちゃん、そして、どんなときも上に立つわけじゃなく、一人の人間として同じ目線で優しく関わってくれたリンダ。

 みなさん、ほんとうにほんとうにありがとう。

 シスコでの滞在の最後にいただいた、かけげのない宝物。

 これが、「まごころ」というものなのだなと、深く深く心に響いた。

 神様の采配、ギフトに、こころより感謝してやまない。

 素敵な、体験をありがとう。

 いま、空を飛びながらこの1年間のさまざまな出会い、出来事、問題などを通して自分が確実に変化したことを不思議なほど体で感じている。時間、空間をすごい早さで移動して、今度は日本という場所に戻り、自分がどんな風にこれらの経験を咀嚼しアウトプットしていくのか。

これまた、どうしようもなく自分にわくわくしている。



 
 




# by artaira | 2005-09-29 13:28

Good by Bay Area Life

  ついに、この家とお別れである。
一年はあっという間に過ぎた。今日は、インドから帰ってくるLindaを空港まで迎えにいって、彼女の家に泊まる予定だ。そして、明日の朝日本に向かう。

 じつは、まだ、パッキンングの最中で、いったいいつ終わるのかわからない。既に5箱もシッピングしたのに、まだまだ山ほどの物がある。こちらでの、数えきらない出会いや思い出とともに、バッグに詰め込んでいる。

 「Bay Aria Life」を読んでくださった皆様、わたしのつぶやき日記につき合ってくださりありがとう。けっこう、最近つぶやきも癖になってきていたので、もしかしたら、またどこかではじめるかもしれないが。

 See you soon!

 Good by My Bay Area Life・・・・・・

Sep.28.2005
# by artaira | 2005-09-28 21:18

ルース・バンハード

 きのうは、朝からミッションにいっていた。今回のミッションの作品をミッションのギャラリーでなにかできないかと、プリシタアイズのルアラといっしょに人を訪ねたりした。
 
 3時にHiroyoちゃんとhttp://www.skjstudio.com/bernhard/ルース・バンハードの家に遊びにいくことになっていたので、CraySt.へと急いだ。
 ルースは10月でなんと100歳をむかえる。エドワード・ウエストンの影響を受け写真家になった素敵な女性である。2年前も伺ったが、今回も全く変わることなく、チャーミングで愛らしく、凛とした面持ちで私たちを迎えてくれた。細江さんからのメッセージ、倉持さんからのメッセージを白いバラの花束とともに届けた。
 
 私たちの写真を見ながら、楽しいひとときを過ごした。少女のようなあどけなさが、魅力的である。そして、写真を見る目はきらきらと輝き、フォトグラファーとしての誇りと真っすぐなまなざしが、彼女の生き方を語っているように感じた。

 ファイプリントが、部屋中にかけられている。
「写真を見てもいいですか?」とたずねると、
「もちろんよ、どこの部屋だって、クローゼットの中だって開けてちょうだい。あなたは、この家の中のどこにいってもいいのよ!」

 2年前に伺った時にいらした、彼女のハウスキーパーがいっていた、
「こんなに、前向きでポジティブな人はみたことがないわ」
という言葉を思い出した。
 
 素敵な人生なのだろう。わたしも、そんな人生を生きていきたい。

 帰る前に、再びルースに会えてよかった。



 「また、遊びにきますね!」

といって、キスをしてさよならをいった。




# by artaira | 2005-09-28 03:15

本当の親切 ティブロン マリネロ メモリー 

 私住んでいるアパートメントは、TiburonのEL MARINEROにある。ここで1年間を過ごしたわけだが、明日の夜を最後にとうとうお別れだ。
 きょうは、マネージャーのジョセフィンが、私の下の部屋に住んでいるブライスをさそって、ティブロンのダウンタウンの海の見えるベーカリーでのランチに招待してくれた。ジョセフィンもブライスも白人(といういいかたもあまり好きではないが)だが、人種を超えて、わたしを受け入れてくれた人たちである。私たちはいつも、心で話すことができた。そして、わたしが困った時は、親身に助けてくれた。

 日本でもあることだが、こちらでは特に「親切」の向こう側に「違う目的」を持っている人が多い。残念なことに、ある程度長くこちらにいる若い日本人にありがちなのように思う(わたしがたまたまであったのかもしれないが)。

 もちろん日本人だけではない。アリゾナで車を借りチェックインしたときのこと。そのレンラルカー会社は、アメリカにしてはやけに親切だった。いつもは自分で借りる車までえっちらほっちら重い荷物を引きずっていくのだが、そこは、受付のおじさんからナイスガイの若い男性に引き継がれ、荷物は持ってくれるは、優しい言葉はかけてくれるは。
「ここの会社は、いままでのレンタルカーのなかで、一番親切だわー」
と思わず、そのナイスガイにいってみた。
「ありがとうございます。」
人懐っこい笑顔を返してきた。車につき荷物も乗せてくれてさあ出発!とおもったら、いきなり彼のレクチャーがはじまった。
「お客様、保険にはお入りですか?」
あ〜〜、そういうことね。私は事前にネットから入っていたが、こと細かく質問され、対人のフォローがないことがわかり、「もし、人にけがをさせたら、莫大な補償をしなければなりませんよー、そうなったらたいへんなことになりますよー」
なんて、嫌なやり方だろう。出がけにネガティブなことを言われるほどいやなことはない。なんだかんだと脅かされ、結局私は不安な気持ちに襲われ1日15ドル×15日分の保険代を払うこととなった。
 この時も「この国には本当の親切はやっぱりない!」とつくづく思った。

 最近は、やけに親切にいってくる人がいると「この人の目的はなんだろう、またなにか頼みたいのかなー」と思ってしまう自分がいる。そんな自分も好きではないが、それくらいじゃないとここではやっていけない。
 人を当てにしないで自分で乗り越えていかない限り、「利用し、利用され」のサイクルから抜けられない。一見同じように見えるが、「親切にし、親切にされる」という次元とは全く違う。どこが違うのかというと、「利用する」というエネルギーは、人を大切にしていない。自分のことしか考えていないのだ。自分のために人にしている行為なのだ。もちろん自分のためにしたっていいのだが、「親切」という衣で装っているのでなかなかまぎらわしい。だれだって、優しくされることには、弱い。相手はそれを知っているのだ。

 特にこの国にとっては、親切=サービスであり、何と、サービスには「チップ」を払う習慣があるわけで、「ただ」の親切はやっぱりないのが常識なのかもしれない。何もわからない新参者は、かっこうの標的となる。でも、それをするのがアメリカ人ならあきらめもつくが、異国の地で同じ国の人間にされることは結構空しいものである。

気をつけよう、暗い道と親切ごかし(笑)。

 利用されたと感じたときは、後味が悪いものだ。でも、結局は利用されている時は、自分も相手に頼っていたりと、何らかの期待をしているものだ。

 この、サイクルから抜け、「本当の親切」を分ちあえる人たちとの関わりは、心が休まり愛に満ちている。わたしのネイバーが、そういう人たちだったことは、希有な幸運である。

 ランチのあとにSX-70で写した3人の記念写真には、私たちの関係性がみごとに現れていた。

こんなに、安心している自分を見たのは久しぶりだった。

写真て、本当にすごい。

日本に帰ったら、スキャンしてアップしよう。



 





# by artaira | 2005-09-28 00:06

ぼくらはみんな生きている

 きのう、ミッションの壁画の作品のコピーライトをもらいにプリシタ・アイズという、壁画を描いたアーティストのコミュニティーを総括している事務所にいった。ミッションの壁画には、すべてアーティストの著作権があり、使用するときには許可がいる。まえから、彼らとはコンタクトをとっていたが、プリントが仕上がり展示の可能性がある作品のチェックをしてもらった。
 ちょうど、オーナーのパトリシアももどってきたので、作品をみてもらった。彼女はミッションに30年も住んでいるという。一枚一枚「これは、〜丁目のアリー(路地)ね」という具合に、ミッションをかなり把握している人なのだ。
 そんな彼女が、作品を見ながら何度も何度も「すごく感動してる!」といってくれた。わたしは、「ありがとう!」といって彼女を見ると、彼女の目から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれていた。「ミッションをこんな風に捉えたのね」と彼女はいった。
 わたしは、「わたしの愛を感じていただけますか?」と尋ねると、胸を手で押さえながら「すごくすごく、こころが感じているわ」と答えてくれた。
 わたしは、正直、予期していない出来事にすごく驚いたが、もちろんとても嬉しくて、わたしの心からも涙がこぼれた。

 ミッションの写真を撮り始めた頃、周りの人はこんな風にいった。
「なんで、ミッションなんか撮るの?」「あの道は、通りたくもないわ」「危ないから、近づかない方がいいわ」

 ミッションは、英語の話せないメキシコ人やキューバンをはじめ、カラードのるつぼである。

 

 人はいつから、人の上に人をつくってしまったのだろう。


 帰り道、運転をしながら、無性に涙が込み上げてきた。

 ふと、小さな頃に歌った歌をおもいだした。
 わたしは、泣きながら大声で、歌った。

 「僕らはみんな生きている、生きているから楽しいんだ。
  僕らはみんな生きている、生きているから悲しいんだ。
 
  手のひらを太陽に透かしてみれば、真っ赤に流れる僕の血潮

  カエルだって、おけらだって、アメンボだって、
  みんなみんな生きているんだ友達なんだ」


  生きているってことは、誰にとってもとても尊いことなのだ。



  大声で歌ってみたら、不思議と心が晴れ晴れした。






 
 
# by artaira | 2005-09-25 18:27